2016年05月16日

イオンに来て蔵民というフードコートのお店でカシューナッツ炒め定食を食べました。もぐもぐ。鶏肉、ナッツ、おいしいです。おいしかった。それで何か書こうとしているのですね。難しいです。気持ちをどこに集中させたらいいでしょうか。どこに、ということも難しいですが、集中すること自体も、困難です。詩人のみなさんは、あのような作品を仕上げるまでに、どの程度のエネルギーを消費しますか。あのくらい入り組んだ作品群ですと、かなりの力技かとおもいますが、どのくらいの時間を経て完成したものでしょうか。

ここで、饒舌にならないといけないのですね。芸を、詩芸を駆使して。そのような力量は現在わたしにございません。わたしはただ、わたし自身の現在の伸張感を記しつけることしかできません。
ただ、わたしはわたしを知りたいです。その正確さを、得たいのです。

一人の詩人が存在する意味は、どういうところにあるか、と、思想家の口ぶりを真似て、近頃よく思考するようになりました。未来において人々の使う言語に、先取りして出会うため、といえるでしょうか。それでは社会の儀礼に合わせすぎでしょうか。

詩人というのは現在どこにいますか?わたしは、詩人に憧れていた時期があります。ただし、あまりにもとりとめのない「詩」が、わたしの想像力からこぼれおちていってしまったようでした。いまからでも、その詩の落し物を拾えれば、とても嬉しい予感がします。予感というのは、いつでも、何かを書く動機になりますね。

(15:11)