2011年09月14日
おもしろい、とわかっていることを、そのままやってしまったら、ただ単に得するだけじゃねえか。
それが不満で、そうじゃない方法でやりたいのだ。
あいつ、得ばっかしやがって、不愉快じゃねえかよ
というのは、やっぱ単にひがみなのかなぁ。
俺のひがみなのかなぁ。
どうしたら、循環から抜け出せるの?
誰も、抜け出てねえじゃねえか。
誰がかっこいいとか、誰が優れてるとか、あいつはぶれてねえとか
でも、自分が生きると他の誰かが死ぬという循環から抜け出た奴はひとりもいねえじゃねえか。
そのことで言えば、みんなおなじじゃねえか。
人間をなめない、という態度を、ずうっともっていたいと思った。
海を見て思った。
人間には、わかることのできないものがある。
だとしたら、そのとき、人間をなめない、という態度は、どこへ向かっていくのか?
わかることを、精一杯、わかっていく。
だけど、そもそも前提から、わかることのありえないものがあるとしたら?
自分が絶対だと思ったことは、果たして絶対だろうか。
なんで絶対だと思っているのだろうか?
それは弱さか強さか?
それを相対化したとき、あなたは、もろくなってしまうのだろうか。
一人一人が生きていて、みんな生きていて、生き方がどうであれ、みんなが生きているということに優劣はないんだ。
「平等」、ってなんだ?
勘定して、自分が、儲けてばっかでいられると思うか。
勘定して、最後の勘定して、そしたらみんな、ちゃらになる。
それが、「平等」じゃないか。
その、最後の勘定っていうことが、わかるようにしなきゃいけないんじゃないか。
それは、僕ら人間がわかる範囲のことで、やれる限りやれば、できることなんじゃないのか。
やってもないのに、終わってもないのに、無理だ、って言っちまうことが、「人間をなめる」っていうんだ。
(23:13)