2014年10月

2014年10月25日

・絶対感情のようなものを求めずにはいられなくなる。と。それは、、、

「こうしたい」「ああしたい」というのがあって、でもそれは自己の対象的疎外であって、対象的な自己愛の疎外。

「あなたがいてくれて私も肯定される」という事態が相互に場に。なんだかもっと自己をブーストさせるに足る与件をもっとな現状。もっとこれにいまに見合う満たす与件。それがいまも足りないのだ。ドラクエモード。自分を捨てる。RPGをプレイングファンタジー。そして相対性を超える。横ざまに超える。そのときの具体的な画が、これだ、というイメージ。それを奪取して。

そうだそうだ、そうなんだ。そこでは散文的な威力が靴裏にセットされてジェットする。そして、いつでも重要なのは、使用価値が交換価値を上回ること。まあ、逆は、なかなかできないだけだが。

自己表出にもっとハッパをかけて活躍してもらわないと。そうじゃなければ、まとめることが不可能になる。具体的なことをするには、パワーが必要なんだ。

 

・11月17日のまよこのライブ。
くぼみがあって、そこに片足がひっかかる。なにかあればすぐ他人のせいにする。「自分のせいで」、というときだけにきっかけは存するかもしれない。 

バンドる。たすきは眼に見えない方がいいのか、それとも見えた方がいいのか。一定の年齢をすぎ、意識的な社会性を帯びた個人に、眼に見えない関係をもつことは難しい。

インディオ達がもつ贈与という様式。うんこ。無償のくそ。誰が見ても、しかめる顔をつくらせるだけのノイズ。それが大事だ、と言いたいわけじゃない。

横ざまに手をつないで。。ルックアットミーの問題が、マリヴロンを困窮させるかも。そう考えることは自愛のすぎたまねか。求められることばを探す。もっと大事なことは。それはある。そこから、そこに行く前に、ちょっと立ち止まって、しゃがんで、ひとーりで、こうして遊んでいるんだ。そうすることにためらうこともない。ひとりがふたりになる。時間は流れる。やがて時代が変わり、もといた人間がいなくなる。さびしさを感じる度合いが変わる。自分もどこかから退場している。しかし新しく出会ったひとたちに、お祝いを告げることもできる。人間の歴史が小さく繰り返されてきた。いつでもビビるが、そのビビリは普遍的なものだ。そろそろ君の方を向かなきゃいけない。がらくたたくさんあるよ。おかしたべるか。ぼりぼり皮膚をかく。あんがー。くわっと口ひらいて、その次にくるのは君の言葉を聞くことだ。時代は新しくなるでしょう。



(09:33)