2013年07月

2013年07月28日

やいのやいの


問いなして

・・・
問うてるばあいじゃない。

でも、問うてしまう。

・・・
とかなんとかやってるあいだに、問うこともめんどうくさくなったぁ。





なにをみましょうか。

その二つの眼で
なにをみるかが
その人です。



人間は
その人の中で像を結び

世界は
その人の中で像を結び

それが甘々でも
もっと厳しからざること 要請されても

その人は発進いたします。


致し方ない。


でもぼくははっきりといっておく。

必然の道はただひとつなり。

それをゆくなり。


ゆくことが、いかにかったるぅても、臆病ぅでも

そんな怖がるぅサマが ゆるかわぁ でもなくてもぅ


必死でも生きてるし何もしなくても生きてるし
命がけ という中には斯様に常温高音組み込まれているのね
と嘆息


だからもっとエナジーがほしい

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(01:24)

2013年07月14日

俺も闘ってるし君も闘ってるのだから、

と いいかけて、やめる。


言葉は、読む人の、読みたい言葉に、変わったりするものであるから。



俺は俺の、「まっすぐな道でさみしい」をやらなきゃいけない。

彼は彼の、「まっすぐな道でさみしい」をやり、彼の場合は、他人を巻き込み、「まっすぐな道」を歩いている。


それがいいかわるいか、知らんが。

でも、いいかわるいか 言えないと、前に進むことができない、ということだって、ある。


どうしようも、ないのだ。
誰でも彼でも。



君は君の、道があり、それが決して、誰と劣るとも、意味が勝るとも、思わないことだ。


そう、そうすべきである。

(21:10)

2013年07月01日

自分の恥部をさらけだすというのは、怠っていると億劫になっていくもので、また恐怖を感じるようになるもので。
(もちろん、それが一種の表現の「快感」になるというのは、必然だろうが。)

ファックオフ。


ところで、何を言いたいかというと、いま現在、表現する(ことに向かう)ことは、ビジネスの契機をもっているだろうか、ということだ。

と、いうのは、ビジネス、食いぶち、これがなくては生活が立ち行かなくなるからで、生活していくのに表現することが役立つならば、これはとても望ましいと思うからだ。


しかし、そういうことは語りたくない、と思う。

なんでだろう。
なんでかわからん。



あれ、石川啄木は、そういうこと言ってなかったっけな。


言ってないか。

(22:06)