2013年03月

2013年03月27日

じぶんをあたためていないのに
ひとを
あたためられるわけはないと
しりました

いま
ストーブのまえ
ふきだしてくる
ねっぷうに
からだをちかづけて

たかいほうからひくいほう
たいおんは
ながれてく

じぶんをあたためていないのに
ひとを
あたためられるわけはないと
どうしてきづかなかったんだろうな

ぼくは
れいぞうこをあけて
つめたいジュースを
のんだ


(02:16)
ぼくがしてきたことよりも
ぼくがしてこなかったことのほうが
おおいようなきがして
ふあん

きみが たぶん
ふだんおもってることと
ぼくのおもってることを
くらべっこしたら
ぼくのしてないことがわかった

うたになるようなことは
そう おおくない
だから ぼくはぼくの
しっぱいをうたう

ひとりひとり みんなちがって
それでもひとは みんなおんなじ
そう おもって
ぼくはきみの ことをおもう


(02:04)

2013年03月02日

ぼくらは スーザンソンタグのように うたいたい

「自分のことはなるべく考えないように」

という スーザンの でんごん のように

あなた とおいひと まだあったことのないひと いつもちかくにいるひと

じぶんはいつもここにいるけど いろんなひとも いつも そこに いる

じぶんではない ひとについて かんがえる とは どういうことなんだろう

ぼくらは じぶんのことしか わからない

じぶんじゃないひと のことについては そうぞう するしかない

かんがえる とは そうぞうする ということだろうか

もしかしたら じぶんじゃないひとが じぶん であるかのように かんじることだろうか

「自分を愛するように他人を愛する」

そんな じゅもんが かんがえる ということの かなたに あるのだろうか

かんがえたいこと

じぶんについて かんがえたいこと

じぶんの これから じぶんの したいこと

かんがえたいことは やまづみ だ

だけど

じぶんのことを あとにして だれかについて かんがえる

とり みたいなものが

そらをとぶような きがする

じゆうになったような きがする

じぶん じゃなくて あなた のところまで

せかいがひろがった みたいになる

ああ それが

きぼう というものかもしれないなぁ

(20:49)